ノリ冒険記自伝〜シンガーソングライターが夢だった🎸

シンガーソングライター🎸を目指す少年〜中年までの人生冒険記

シンガーソングライターが夢だった🎸第3章

花のキャンパスライフ?

現役時代から考えますと丸3年もかけて、

やっと二流大学に合格💮しました。
この四月から晴れて大学生になりました。

年はもう二十歳を超えていますが。
そこは愛嬌で乗り切りましょう!

大学も決まり、安心してあっちらこっちら遊び過ごしている間に、両親が住むところを決めて来てくれていました。

いざ引越しで、初めて家族3人でその借りたという家に行ったのですが、マーーびっくり!

そこはとんでもない世界でございました。

二流大学は熊谷駅からバスで30分くらい行ったかなり人里離れた所にあるのですが、私の住むことになる家はその大学から歩いて1分くらいの目と鼻の先にある畑のど真ん中にありました。。

ちょっと時代がわからなくなるような絵に描いたようような昭和初期の長屋が2列並んでおり、全戸10部屋くらいありましたかね。

風呂は共同、トイレも共同です。ごく普通の一戸建てで育った私には考えられないシチュエーションです。
よく見ると裏にはもうひと棟長屋がありましたが、何故か全ての窓に板がバッテンに釘で張り付けられていました。あとで聞いた話ですが、その昔その建物で集団リンチがありひとりの学生さんがお亡くなりになったと。。勘弁してくれい。

花のキャンパスライフは一瞬にして砕け散りました。
しかし二浪して、1年余分に学費まで払って頂いた身なので文句など言える立場じゃありませんわな。

学生生活が始まり、友達を作るためにサークルに入る事に決めます。

本来は軽音サークルに入りバリバリ音楽にいそしみたいところですが、残念ながら独学でギターポロポロレベルだったので、経験者に混ざる勇気も持てず。

結果メインは経験の深いテニスサークル🎾、おまけにフォークソング同好会に入会を決めました。

ちなみにフォークソング同好会では一回だけライブに参加しました。
岡田さんという先輩が率いる四人バンドにサイドギターで混ぜてもらう感じで参加しました。
そのバンドは佐野元春コピーバンドで岡田さんがボーカルをとりました。
佐野元春は大好きでしたが、正直下手くそなボーカルの人の後ろでギターを弾く、とてつもないストレスを感じ速攻でやめることになりましたとさ。

テニス🎾は中学 高校時代と続けていたので、めいんのテニスサークルにはかなりはまりましたね。
サークルにはテニス経験者も多く、授業が終わると部活並みに毎日テニスに明け暮れました。

テニスで汗をかいて、テニスコート脇の椅子でみんなで談笑。なんだか2年間浪人生活をしていた引きこもり状態のような私には煌びやかな世界で楽しい時間でした。

一人暮らしなので夜も仲のいい友達と何人かで自由気ままに遊び続けます。
原付き二台で四人で真夜中の森林公園に肝試しに行ったり、ゲーセンに行ったり、長瀞にドライブしたりと
数えきれないほど楽しい時間を過ごしました。

そこで一番仲良くなったのがジョウです。
外人じゃないですよ。苗字が宍戸なので、流れでジョウに落ち着きました。

私の家は大学からすぐ近くの人里離れたところにあると伝えましたね。ほかの友人たちは、熊谷駅近くや少なくとも荒川を渡る前の駅寄りに住んでいましたが。
ジョウはかなり近く、歩いて3分くら位の同じく長屋に住んでいました。
彼は月の家賃が12,000円でしたが、私はさらに上を行き10,000円ジャストでした。。なんてこった笑。

そんなこんなの状況もあり、あっと言う間にかなり仲良くなっていきました。
私はワガママ、それに対し彼は合わせてくれるんですな。ありがてぇー。
私がとにかく尊敬していた浜田省吾尾崎豊の素晴らしさを情熱的に伝え、ジョウの頭に破格のペースで洗脳していきます笑。

大学に入ってから初めて私はYAMAHAの黒こげ茶色のアコースティックギターを買いました。確か50,000円くらいでした。
もちろん洗脳されたジョウも何ヶ月か遅れて、モーリスのアコースティックギターを買うんです。これもまた50,000円也。とにかくジョウのギターはいい音してたなぁ。ほんまに。

大学生活も少しずつ慣れてきて、ライフワークみたいなものができてきました。

朝大学に行って授業を受ける。
まぁ落書きしかしていませんが。。
午後からテニスコートに向かい思いっきり汗をかき、テニスに明け暮れます。
そのあと何人かで飯を食いに行って、軽くお酒を嗜み家に帰ってきます。
まぁほとんどジョウも私の家に一緒に帰ってくる感じですな。
帰ってきてからは、とにかく音楽漬けの長い夜の始まりです。
私が書いた詞やジョウも詞を書き始めていたので、
どちらかの詞に曲をつけてみたり。浜省を夜な夜なエンドレスで流したりととにかく眠らない夜です。

長屋なので知り合いの大家くんや谷井くんがちょいちょい顔を出してきたり、今までの人生でこんなに自由で無法地帯はないなっと実感していました。

飲み会も多かったのですが、人生で初めて記憶を無くしたのもこの頃ですが、大学四年間で無くした記憶は星の数ほどありますわ。。

そのころの作曲スタイルはピンク色のカセットデッキに向かいひたすら弾き語りながら歌をメロディにのせていきます。
夜中に詞を書いたり、曲を作ったものを次の日にれいせに聴くととんでもないやばいことになっていることが多いです。
一度ジョウと二人で作った曲で出来た時はチャゲアス並みにいけてるんちゃうん?っとかなり二人で盛り上がった事がありましたが。
次の日冷静に二人で聴いてみたら大爆笑。。
あまりにもクドく時代も昭和初期かっていうくらいの古臭いメロディーでガッカリ極まりない曲でございました笑。
神様才能をください!

第3章はここで終わり。

第4章に続く

ノリ冒険記より