シンガーソングライターが夢だった🎸第20章
化粧品メーカーに就職が無事に決まり、闘病中の親父と母親はかなり喜んでくれました!
二浪して二流大学で、ニートという出来の悪いひとり息子をもって、親戚中でもかなり肩身が狭かったかと思います。。本当に両親には迷惑ばかりかけてしまいました。。でもこれからは何とか負のスパイラルを払拭し、この化粧品メーカーで頑張らなければなりません!
よっしゃー頑張って、初任給でケーキでも買ってあげようっと!
俄然前向きになる私です。
ノリ家ではささやかなお祝いを済ませ、明日のライブの為に、早めの就寝です。
明日11時に新宿ACBホールに集合なので、遅くとも10時半には新宿駅に着かないといけません。
新宿ACBホールは歌舞伎町のど真ん中辺りに位置し、新宿ドンキを真っ直ぐやり過ごし、突き当たりを右に曲がったところにあります。
いつものJR総武線9時5分初の東京行きに乗ることにしました!
またギターを持って電車に乗るのはなかなか大変です。歪な形なんで、収まりが悪いのです。。
頭のなかで明日の良いライブのイメージを想像しながら、眠りにつきました。ちなみに夢の中でもダメてっちゃんはコードを平気で間違えていました笑。
そしてノリ悪りぃんなぁー!と何度も謝っていました笑。
ダメてっちゃんの言葉の方言は埼玉県秩父市の秩父弁です。秩父弁は関東の中でも際立って、あくの強い方言かと思われます。例えば標準語=そうでしょうは秩父弁=そうだんべ、標準語=行こうは秩父弁=行くべ、標準語=そうなんだーは秩父弁そうだんべ、標準語=行くんでしょ?は秩父弁=行くんだんべ?です。。だんべって笑。
幼少期夏休みや冬休みにはかならず秩父の田舎でいとこ達と遊んでいましたが、子供ごころにも秩父弁はインパクトあるなぁと感じていましたし、自分は千葉で良かったなぁと思っていました笑。
でも秩父は綺麗な川と山に囲まれ、本当に大好きな田舎です。
話しは戻り、遂に初ライブの朝を迎えました。進路も決まり、だいぶぐっすりと眠れました。
よしっ朝シャンして、しっかり顔洗って、いつもより丹念に髪の毛をセットしてっ!
いざっJR総武線で大東京新宿へ!
ギターなど荷物が多いので、母親が駅まで送ってくれました。頑張ってね!うんっ!楽しんで来るわ!
てっちゃんにも宜しくね!ああ!
ダメてっちゃんは母親の出来の悪い弟なんです。。
母親の母親、私のおばあちゃん(スーパーババア)も5人兄弟の末っ子であるてっちゃんには相変わらず世話を焼いているみたいでした。あの頃ダメてっちゃんは50歳ぐらいです笑。いいかげん自立せぇ!
スーパーババアとは別に悪口ではなく、かなり褒め言葉です。息子4人と娘1人を育てあげ、おじいちゃんが頼りない人だったみたいなので、木材屋を営んでいたのですが、ほとんどスーパーババアが切り盛りしていたみたいです。今でも健在で恩年102歳ですが、頭はまだまだキレッキレです。
スーパーババアが脳🧠の検査でCT検査をした時があったのですが、病院の先生からあなたはかなり脳を使ってこられましたね。と言われたそうです。
すげーそんなことわかるんやっ!
私の脳はスーパーババアと違いシワがないんだろうなぁー。。。
母親がいつもボヤいていました。スーパーババアが偉大すぎて息子4人は全く大成できなかったと。。
その中でも群を抜いてヤバいのがダメてっちゃんでした。。スーパーババアも良く言っていたのですが、うちの息子達4人集まっても、達彦さん(私の親父)には敵わないっと。私の親父は言葉少なでしたが、弱音も吐かず強い人だったので、褒めてましたね。あまりに母親がキレッキレで強い人だと、息子はダメになってしまう傾向があるのかもしれません。分かりやすく言うと、ラピュタに出てくる山賊の一家がいますよねっ。母親が強く、息子達が沢山いて優しくて若干頼りないという。あんな感じです。逆にいうと、明るくて優しくてハートフルな感じですかね。私は大好きな人達です!
スーパーババアは凄いという事で。。
第20章はこれでおしまい。
第21章につづく
ノリ冒険記より
愛をこめて