シンガーソングライターが夢だった🎸第13章
毎日派遣バイトの日々です。
学生さんの知り合いもできたりして、、
2月で24歳になりました。。
親父は重い病気、定職なし、日々のバイトでは年下の方に怒られ、、
アホか!このまま派遣バイトで暮らしていく訳にはいかない。もう24歳だし。わたしの友人達は立派に社会人を全うしている。
自然と顔は曇る。
やはり派遣バイトで若い人に怒鳴られたのは、私の心のど真ん中に響いたんでしょうね。
こんちきしょう!先輩やぞってね。。
このリアルの体感がキッカケで、人生2度目の就職活動を始めることになります。
丁度その頃、サークル仲間の意識高い系ワタナベが転職の為に安定した業態である信用金庫を退職していました。
私は藁をも掴む気持ちでワタナベに連絡を取り、テニス会で会えるタイミングがあったので、色々とアドバイスを頂きました。
ワタナベといえば学食で集まっていた時、男子みんなでボーリングに行こうっ!と自ら先頭をきって提案をし、10人くらいで行く事が決定したにもかかわらず、5分後に彼女とのデートが決まりっ、、、じゃあっ!そういう事でっ!とそそくさと帰ってしまったりする中々の自由な奴なのですが。。
この時とばかりは彼の作成した職務経歴書や履歴書の例を共有してくれたり情報を沢山くれたりしたので、それをほぼ完コピさせて頂き再就職に臨む事が出来たんです。
ありがとうワタナベ!
ワタナベが、ガンジーくらい神に見えて、本当に有り難かったです。
持つべきものは友達だと、心の底から感じましたね。
さてっ!いざっ就活へっ!
ワタナベから聞いたリクルートエイブリックに連絡を取り千葉の実家から新宿まで繰り出しました。
担当の方がマンツーマンでヒアリングをしてくれて、私に合った仕事を探してくれるという非常にありがたいシステムです。なんかオフィスも凄い綺麗だし、いい仕事を探してくれそうな期待が膨らみました。これで登録も済んだし、ちょっと安心です。
紀伊国屋で漫画でも買って帰ろうっと。
呑気な若造わたくしノリですわ。。
それから就職情報誌デューダやB-ingなど毎週購読し企業をチェックしていきました。
一番はじめに行った企業はB-ingで探した建設会社でした。かなり小さい建設会社でした。
初任給が25万円というフレーズに惹かれ、思わずこの会社面接の申し込みをしてしまいました。。
約束した面接日にこの建設会社に来たのですが、まず会社が大きめの一般の家みたいな感じでした。。一階がガレージになっており2トントラックが一台停まっています。
一台分のスペースしかないので、多分トラックは一台だけなのか?と横目で見ながらガレージの横の階段をあがり二階にある玄関に向かいました。
一般家庭のように普通にピンポンを押し、気さくな感じの50台半ばのおじさんが玄関を開けてくれ、明るくこちらにどうぞーと。
玄関のすぐ左手にある事務所みたいな部屋に通してくれました。
事務所に入ると白髪のおじいちゃんみたいな方2人が笑顔で迎えてくれました。ようこそ〇〇会社へ!
ノリです!今日は宜しくお願い致します。会社の面接というより、親戚のおじさんに会いに来た感覚に襲われました。
大学のことや親父の会社のこと、やっていたスポーツなどを聞かれました。やはり面接ではないですわ。話の中盤から是非君なら明日からでも来て欲しいと言われました笑。半年もニートだった私にとっては有り難かったです。
初任給25万は非常に魅力的だったのですが、仕事内容は建設現場職人の方の監督や管理だということでしたので。。丁重にお断りしてさせて頂きました。
再就職の為に頑張って活動している中、ジョウとダメてっちゃん(実の叔父さん)の3人で生まれて初めてのライブ計画を立てていました!
当時私が作っていたポップよりの曲を5曲選び、デモテープを配り3人それぞれ個人練習をしていました。
ライブ会場は同じサークルにいたマリコが働いていたこともあり、新宿ACBにしました。
若い頃のジュリーも出演したみたいです。
一度下見に行きましたが、チラシだらけの階段を降りた地下にある渋いライブハウスです。
中に入るとオールスタンディングの狭めのホールではありますが、お洒落レトロな感じが素敵なライブハウスでした!よしっ!人生初ライブ頑張るぞー。
24歳 無職 名もなきシンガーソングライターがちょっとだけ気合いを入れた新宿の夜でした。
一銭も稼げていない私ですが、就職活動と音楽活動のふたつで、非常に忙しく充実した24歳の初夏です。
ここで第13章はおしまい。
第14章につづく
ノリ冒険記より
愛をこめて