シンガーソングライターが夢だった🎸第1章
ごく普通のサラリーマンです。
気づけばもうすぐ46歳になります。
日々パソコンに向かったり、日経新聞を読んだり、
会議したり、プレゼンしたり、判断したりと笑
せわしく過ごしています。
そんな私にも夢がありました。
それはシンガーソングライターになることです。
17か18歳の頃、なんかのきっかけか忘れましたが、親戚からガットギターを借りる事になりました。
そのギターで大好きな浜田省吾の曲を弾き語りしたく、毎日毎日コードを抑える練習の日々でした。
C Am F G Emを指の腹がちぎれるほど練習、
練習。コード本の通りにしっかりとギター弦を押さえているのになぜか綺麗な音がでないのです。。
半年はこれを毎日何時間も続けました。
毎日続けていると偉いもので、CやAm.G.Emはわりと綺麗な音になってきましたが、なかなか綺麗な音にならないのがFでした。
はじめの半年はFだけは一生綺麗に弾けないんじゃないかとイライラしたものです。。
またムカつく事にどんな簡単な曲にもFが良く登場するんです!イライラ〜笑
しかし毎日家族に迷惑を掛けながら、頑張って続けたおかげもあり半年を過ぎた頃、不意に綺麗な音がでるようになったのです。
やはりなんでも継続は力なりですな。
Fさえ綺麗な音がでるようになると、しめたもので弾ける曲がかなり増えます。
まぁ殆どの曲が弾き語りできるようになります。
この頃は電話帳並に厚い浜田省吾の全曲集を教科書にしていたので、ひたすら弾き語りに明け暮れていました。
それと同時に作詞作曲もはじめています。
そうっこれがっ!
私のシンガーソングライター人生の始まりなのです。
音楽仲間など誰一人とおらずひたすら自分の部屋でコードを探りました。
恋愛もしていないので、バラードの詞の頼りは浜省の歌の中の恋愛やテレビドラマのみです。
経験もないくせにやけに別れの歌の歌詞を書いてみたり、めちゃくちゃでしたね。
曲はコードを紡ぎ合わせメロディーを鼻唄まじりに乗せていくだけなので、それなりだったかと。
しかし、バンド経験もないので山と谷がなく、リズムも一本調子なので盛り上がりのない曲だったかな。
この頃の曲は今聴いたら大爆笑ですなっ。。
あーそうそう、唯一の音楽仲間がいました。
その名もダメてっちゃん。
ダメてっちゃんとは母親の弟、言わば私の伯父にあたります。ダメとは人間としてダメと言うことです笑。自営業で電気屋をやっては潰し、二人の男の子を授かるも、嫁に逃げられ。その後はいろな仕事を転々としていました。
ただ私にとっては、ダメてっちゃんは神でした。
いい加減だけど、話は面白いし(かなりくだらないが💦)、ひとは悪くない、子供にも対等に接してくれる(今考えれば奴が子供だったかも笑)
極めつけは、バンドマンでギターリスト🎸だったことです。
とにかくダメてっちゃんが泊まりに来た時はひたすらギターを教えてもらったり、セッションしたりと
夢のような時間でした。
自作の曲もセッションしてもらう事で、かなり曲に立体感がでてくるので、いつもレコーダー録音して
ダメてっちゃんが帰ったあとも何度も何度も聴いてはひとり部屋でニヤニヤしていたものです。
今の若い子には考えられない光景かと思います。
今ならスマートフォンさえあれば簡単に曲は作れますしね。
こんな状態で18才です。
高校3年生
大学受験ですな。
某大学を受験する為にダメてっちゃんの家に泊めてもらった時も、遅うまで浜省やクラプトンをセッションしてたな。
もちろん1浪確定です。
勉強より曲作りに夢中な浪人生。。
親ごさんお気の毒に。
本当にガッカリな息子だわマジで。
ホンマすいません。
ダメてっちゃん画像公開!
第2章に続く
のり冒険記より