ノリ冒険記自伝〜シンガーソングライターが夢だった🎸

シンガーソングライター🎸を目指す少年〜中年までの人生冒険記

シンガーソングライターが夢だった🎸第6章

大学三年生となり、熊谷での一人暮らしから千葉の実家に戻りました。 2年ぶりに実家に帰ってまいりました。

曲作り、週末の彼女とのデート、パチンコ、飲み会、カラオケなどのライフワークで目まぐるしく1週間が過ぎていきます。

我々三年生はギャンブラーが多く、私もそのひとりでありました。種類はパチンコ、パチスロ、競馬あたりです。私はパチスロはできませんが。 ちなみに社会人になってからもパチンコはたまに行ってましたが、流石に子供が出来たあたりから自然と行かなくてなりましたね。

熊谷時代から良く7、8人で並んでパチンコを打ったものです。 東京に来て、テニスコートがないものですから、そのパチンコの頻度が増えてしまったのです。。

北海道出身のセレブおぼっちゃまナトという奴がいるのですが、ナトが自由が丘に住みはじめたので、ナト宅を拠点に自由が丘駅前前のパチンコ屋にハマることになります。

最盛期は月曜日から金曜日まで、ナト邸にお世話になり朝10時開店から夜11時閉店まで、パチンコ屋に入り浸りの日々が続きました。。 勉強しろやっ!

何故お金がない貧乏学生が毎日パチンコをそんな長い時間楽しめるのかと思われるでしょう。 当時人気のCRパチンコは黄門ちゃま大工の源さんモンスターハウスなどの素晴らしい名機が館内を熱く盛り上げておりましたが、、

我々が打っていた台はそれらの人気台ではなくエキサイトレディーというデジタル画面のドラム式リーチの渋い台でした。 何故この台を打ったかと言いますと、止め打ちが出来るからなんです。 この台は電チューに入った瞬間から30秒刻みで、4分の1くらいの確率で2秒ぐらいアタッカーがガバーっとひらくのです。 ですからその30秒をじ〜っと待ち構えて、開くかもしれないタイミングで玉を5、6個だけ打ち込むのです。

しかもアタッカーが開く確率は4分の1ですから、アタッカーに入るまでとんでもない時間がかかるんです。ひたすら30秒ごとに5、6発を打ち続けるのです。

一番凄かったのは朝開店10時から止め打ちを始め、夕方6時くらいまで出なかった事があります。 ですが、止め打ちをしているので、ほとんど玉を消費しないのです。実際その時は6時まで打って、投資金額8,500円くらいでした。その日は流石に負けたと腹をくくっていたんですが、、そこから6連ちゃんまでこぎつけて、最終収支約20,000円の黒字で終了しました。

まぁでも止め打ちは本当に精神的にキツイ打ち方ですね。私は比較的我慢強いタイプなのか、あんまり止め打ちにイライラに屈する事もなく、真面目に取り組めました。

その成果もあり、当時最盛期は1日平均1万円は黒字を捻出していたので、月20万円近く稼いでましたな。

遊び半分仕事半分くらい、根気のいるパチンコでした笑。

当時良く打っていたメンツでも、根気良く止め打ちできたのは、ナト、ワタナベ、GODサイトウ、私です。GODサイトウのGODとは、当時やたらとパチンコが強く、私の記憶では一緒に打って彼が負けたのは、ほとんど記憶にないですね。台選びと台を変えるタイミングの判断、打ち方など当時の我々からすると逸脱していましたので、サイトウの右手をGODハンドと呼んでいました。 ちなみに通常のサイトウは見た目30点、基本特に面白いことも言わず地味な奴でしたが、自己分析力に長けておりサークル内恋愛やコンパでも身の丈にあったビリから2番目くらいに可愛い女子を狙い、確実にモノにするという手がたいタイプの人間でした。私の名誉の為に言いますとこのビリから2番目作戦はサイトウ自ら良く公言していた話しですからね。

話しは戻り、逆に我慢出来ずに楽に打てる楽しい黄門ちゃまなどに脱落し大負けしていたのが、ボンクラトチ、オーシタですな。 根性なしが。

ちなみに小塚は、ギャンブルはしないんです。 飲み会は大すきでしたが。

三年、四年生と東京かぶれとなりました。 渋谷や新宿あたりでとにかく朝まで飲み明かし、星の数ほど記憶をなくしましたな。 不思議と何のイザコザにも巻き込まれず。 楽しい楽しい時間を過ごしましたとさ。

この頃実家に帰ることも少なかったのですが、帰った際はほぼ100パーセント曲作りに励んでました。

なんだかこの当時渋谷系アーティストが流行っていました。例えばフリッパーズギターとかカジヒデキオリジナルラブなどです。 私は極地的短期的にカジヒデキにどハマりした時期があり、作る曲がとんでもないフレンチポップみたいになってました。曲名が凄いですよっ、🎵シブヤヲアルコウとか🎵恋するぺりかんなどです…

元々浜省に憧れ佐野元春尾崎豊ミスチルスピッツ槇原敬之山下達郎などをリスペクトしていた。 作る楽曲もその方々からの影響をかなり受けながら作っていたのですが、この頃はなにかと浮かれていたんでしょうね笑 カジヒデキを馬鹿にするわけではないですが、あまりのジャンル変更に我ながらビックリですわ。

人間は洗脳される生き物なので、たまに自分自身を冷静に俯瞰から冷静に見つめ直す事も必要かもしれませんな笑。

パチンコの話が長かったので第6章はこれで終わり

第7章に続きます。

ノリ冒険記より